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日記2005 目次

こうなったらどこでも絶対いくぞ!と気分は妙に盛り上がった。

大雪警報なんのその! 2005.12.23 

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最初の雪害12.13 悲劇は先週の火曜日から始まった。12/13(火曜)前日から寒波で積雪で大変と聞いていたので博愛会病院(垂井)へ行くのにいつもより30分早い6:50分に名神に飛び込んだ。行き先の掲示板には渋滞や通行止めの表示もなくいつものように快適に車を走らせた。ところが小牧あたりから関ヶ原渋滞20kmの表示。まもなく大垣ー関ヶ原渋滞、一宮インターを通過したとたん岐阜羽島から停滞にかわり岐阜羽島まであと1kmでとまってしまった。真っ黒な空に変わり前方が見えないくらいの雪となっていた。なんとか羽島で高速を降りて一般道へでたが大垣方面は動きもとれず、病院へはもういけないからと携帯した。名古屋へ戻ろうと上りの入り口へ向かったが車で大混雑一歩(一輪)もすすまず仕方なくあてもなく津島方面へ向かった。馬飼大橋をこえ木曽川沿い堤防を走り次の橋まできたら空も晴れていて渋滞もなくおまけに昔の博愛会への抜け道を思い出した。そうだここからいったことがある!ここまできたら名古屋へ帰るのも3時間以上かかるならいってしまえー!とそれからは雪の中、海津から養老を越え養老パーキングの横を走る川の堤防ぞいに大渋滞の名神を横目に見ながら気分良くたんぼ道を走り抜け無事病院へ着いた。9:20分であった。全行程で2時間半かかったが渋滞もなくうまい抜け道であった。気分はわりと爽やかで充実感があった。

2度目の雪害12.20 次の悲劇は再び翌週火曜日に訪れた。この日は前日の記録的な大雪で朝道路が凍結しているといけないから早めに出ようと6:40分に名神入り口まできた。掲示板には一宮ー岐阜羽島間通行止めと出ていた。先週のどえらい苦労を思い出し、電車で行こうと決めた。すぐに本郷に駐車して地下鉄で名古屋駅へ。7:20分には改札口へきたが垂井直通のJRは35分後に出るとのこと。プラットホームで朝食のそばと暖かいお茶を飲みながら何度も大垣行きをパスしてようやく米原行き普通各駅に乗れ9時前に到着。道路情報を問い合わせていた家内からメールが返ってきて「どこも通行止めは無いよ!」にがっくり。この日はメイトウ夕診がない日なので4:30までと勤務時間も長く患者さんも90人と聞いていたので絶対休めないのである。確実な方法をとったのは間違いでは無かった。大垣からは凍結でいつも10分のところが1時間以上かかりましたよとナースに慰めてもらいなんとか気を取り直した。帰りは伏見で友人の出張診察が入っていたのでやや早めに再びJRで逆走。家に辿り着くまで計11時間の旅であった。

最悪の雪害12.22 そして最悪の日となったのが昨日である。昼から大雪の予報は出ていたが朝は快晴、道路も快適なのでいつものように武豊の渡辺外科へ向かった。東名阪、名古屋高速、南知多有料道路で50分の行程である。診察途中から想像を絶する程の大雪となった。見る見るうちに10cm以上は積もり真っ白。テレビでは刻々と高速通行止めの情報が入りだした。午後3時から家田病院で今日に限って月一度の7時までの長時間外来となっていた。武豊はもう患者さんも来れなくなっていた。11時にお暇させてもらい半田インターへ向かったが、途中の道路で車が立ち往生していてすすめない。仕方なく一つ手前の武豊インターへ向かいやっとの思いで着いたら半田まで通行止め。悲しくなり戻ろうとしたらすでに大渋滞で結局また武豊の渡辺医院へ戻った。すでに1時間が経過、もはや知多道路、名古屋高速も東名阪も通行止め。これでは家田にはいけないと電話して昼食後ほっとしたか急に眠くなりお昼寝30分。目が覚めてみるとやはり診察パスはできないと思い直し、一般道でなんとか家田に行くことに決めた。渡辺医院のおー先生から聞いた道をカーナビもなく地図を片手に何度も道を間違えたけど3時過ぎに家田に到着!やった!豊田あたりはまだ雪なんて全然積もっていなかったので休むなんて電話したことがとても恥ずかしい。来て良かったとつくづく思った。ところがそれから悪夢のように雪が降り出し、外来終了pm7時過ぎには一面の銀世界。家田先生とのお食事約束もキャンセル(白!紙に)させていただいて、通行止めになる前に早々名神に入った。名神は岡崎〜一宮間のみはまだなんとか通行可であったが道路は真っ白で凍結寸前。高速道路になんとか入ればあとは前を向いて走るだけ。のろのろ20kmの速度でだれかが立ち往生しないかとヒヤヒヤしながら無事名古屋インターを出、家に着いたのは8:40分であった。13時間の悪夢のような一日のおかげで雪道にはしっかり慣れた。こうなったらどこでも絶対いくぞ!と気分は妙に盛り上がった。

国男

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