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日記2005 目次

目は自然と丹頂を探していた

 知床の旅 2005.10.16

item4

13,14,15(木金土)と2泊3日の休日をとり知床へでかけた。全国的に晴れで北海道だけ雨ということであったが幸い天気予報が大きく外れ名古屋は雨でも向こうで雨に降られることはなかった。釧路空港には14時15分到着。空港で東京からのお客さんと合流しドラマチックオホーツクという22名のツアーがスタートした。阿寒湖畔に立ち寄り記念写真をとり人工まりもをまずお土産としてゲット。天然まりもは阿寒湖の限られた場所にわずかに生息し天然記念物に指定されているものである。6cmくらいになるのに荒らされない環境下で150年以上はかかると美人のガイドさん。環境を守ることの大切さをまた教えられた。土産の人工まりもを私の残りの人生のなかでできるだけ大きく育てる決意をし(でもこれほんとに生きてるのかな?)網走の宿へ。夜の『カムバックサーモンin網走湖』というツアーで鮭が浅瀬の川の終点でひしめき合っている光景をみた。産卵を終え最後の望みなのか生まれた場所に戻るためひたむきに泳いでいる。すでに息絶えた白い屍を乗り越えて泳ぐ様はどこか物悲しいものがある。網走帰宿後は疲れもありすぐにお休みタイムとなった。

 翌日は薄曇り&晴れ&風やや強しのなかでの知床散策コース。網走刑務所をみせてもらいひまわり畑によりオシンコシンの滝へ。平日にもかかわらず団体客で一杯。昼食もドライブインが限られているためか大食堂につぎからつぎへと予約客が溢れてくる。食材はやはり蟹とかお魚が新鮮良質で美味しい。昼からはネイチャーガイドさんがついていよいよ知床大自然へ。まずは知床五湖、紅葉はくまざさの淡いグリーンにうす黄緑から黄色、朱色といった木々の葉が混じり一番の見ごろかもしれない。1湖、2湖の湖畔を散策した。1湖では黒い魚が群れで集まっていた。何とフナである。開拓民が食料のために放流したようで無事この寒い中生き残ったそうだ。湖岸に集合しているが誰かえさをやったのだ(ここでは人間が自然をこわさないよう動物餌やりは厳禁とのこと(えさを展望台で与えれる摩周湖のりすは別みたいだが)。バス道で念願のキタキツネやえぞしかにあえたがそこにいるのも観光客の餌付けがあったことが考えられる。やがて道路にでて車にひかれてしまうことも多くなるとガイドさん。結局人間が親切にしても動物には逆の結果を生むことになるのだ。本当の親切は静かに自然を見守ることであろう。この日の最後はフレペの滝、オホーツク海を見下ろす100mの断崖の割れ目から流れしなやかに落ちる滝(別名:乙女の涙)、覗き込むと足がすくむ思いがした(風が強く冊もないので本当に飛ばされそうだった)。バスまでガイドさんの色々な説明もあり30分程歩いて道路に出たところで蝦夷しかの群れが車をかき分けて横断する場面に出くわした。危ない!と皆で叫んだが無事に渡って林に消えた。興奮に余韻を残して宿へ。疲れからか食事後8時には熟睡した。

3日目は紅葉の中、知床峠を越え一路摩周湖へ。途中何度もバスの車窓から丹頂を見ることができた。丹頂は日本古来の渡りをしない鶴で絶滅しかけたがなんとか釧路湿原に生息していた一群から現在の数(1000羽以上?下記参照)まで増やせたそうだ。そういえば同じようにコウノトリの繁殖と電線は地中にうめ餌の取り方まで指導し自然への放鳥を試みた村があるという話を聞いたばかりだ。自然は壊れやすいが戻すのには相当の決意と努力がいる。地平線まで広がった釧路湿原を左に見ながら摩周湖まで1時間、目は自然と丹頂を探していた。

参考:「タンチョウ保護調査連合」(事務局・阿寒国際ツルセンタ−)により2005.1月、道内のタンチョウの生息数が1003羽に達していることが確認された。1000羽は絶滅の危機から鶴を救う最低数だと言われているが、丹頂の縄張りが広いため道東の繁殖地の過密化、その結果子供の誕生阻害による高齢化が進み、生息地の分散化が緊急の課題となっているとのこと。我が国の高齢化と同じようなことがおこっているみたい。

国男

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